歴史・沿革

1.高齢社会へと時代は加速する

1985(昭和60)年、日本の総人口のうち、65歳以上の占める割合が大台の10.3%となった(総務庁統計局「国勢調査」)。その後、比率は年々上昇し、1995(平成7)年には14.5%に到達。一般に高齢社会といわれる老年人口比率14%を突破した。

わが国の高齢化は、医学の進歩や医療サービスの充実、保健・衛生水準および生活水準の向上などによってもたらされた。わが国が世界一の長寿国になったことも、これを裏づける。しかし高齢社会が招くさまざまな問題・課題も浮かび上がってきた。例えば、高齢社会の年金や雇用の問題、少子高齢化と生産力確保の問題、そして介護をはじめとした保健・医療・福祉の見直し問題など、いずれをとってもわが国の将来に重大な影響を与えかねない問題だったといえる。

この頃、政府・行政も高齢社会対策に動き始め、またマスコミでも「高齢者」や「高齢化社会」の文字が躍るなど、本格的な高齢社会の到来を実感し始めていた。

2.出会い。日本生命と聖隷福祉事業団


「共同事業化研究に関する覚書」を締結した、日本生命・川瀬社長と聖隷福祉事業団・長谷川理事長(1987(昭和62)年1月22日)

国による高齢化社会対策が始まった1985(昭和60)年、保険審議会においても一つの答申が出された。
「生命保険会社には高齢者の生活設計に資するための知識、ノウハウ、経営資源が蓄積されており、国民からの信頼感も形成されているものと考えられるため、こういった高齢化社会に備える国民の自助努力を支えていく上で、生保事業が中心的役割を果たしていくべきである…」
これをきっかけに日本生命保険相互会社(以下、「日本生命」とする)は、シルバー分野への参入を具体的に検討し始めることとなった。

かねてより総合生活保障産業を目指していた日本生命にとって、シルバー分野は避けて通れない重要な領域であった。そこで、このような社会的要請に応えるために、まずはしっかりとした基盤・戦略に基づいた事業の運営・経営を志向するようになる。そこで、シルバー分野で実績のある事業パートナーを見つけることとなった。そこで白羽の矢が立ったのが、社会福祉法人聖隷福祉事業団(以下、「聖隷福祉事業団」とする)であった。

聖隷福祉事業団は1930(昭和5)年、数人のキリスト教信者の青年を中心に創設。以来、病を負い苦悩し傷ついた人々に手を差し伸べ続けてきた。今日では、有料老人ホーム、福祉施設、総合病院を経営するなど、医療・福祉・教育各分野で20近くの法人を有する、わが国有数の総合福祉事業団へと成長してきた。中でも有料老人ホームに関しては、1973(昭和48)年にわが国初の本格的な施設「浜名湖エデンの園」を開設、その後も宝塚、松山、油壷等に展開。シルバーサービス分野において先駆的な役割を果たすとともに、最高のノウハウと人材・設備を有していた。

3.財団法人ニッセイ聖隷健康福祉財団設立


日本生命社内報『あゆみ』より
  (1989(平成元)年8月)

こうして日本生命と聖隷福祉事業団はパートナーシップを結び、新たなシルバーサービス事業を検討してゆくことになり、1989(平成元)年7月4日、日本生命創業100周年および聖隷福祉事業団の創業60周年を記念して「財団法人ニッセイ聖隷健康福祉財団」(以下、「当財団」とする)は発足する。

急激に進む高齢社会に対応した新たな社会システムを構築することは、すでに国家的な急務となっているが、この問題を先取りするかたちで設立されたのが当財団だということになる。当財団がその使命として掲げているのは、「誰もが安心して、安全に、健やかに、そしていきいきと生活できる、よりよい地域社会づくり」を目指し、さまざまな高齢者生活支援システムを創造・実践すること。

その実現のために、高齢者に対する総合的な生活サービスについての調査研究活動およびモデル事業の実践などを「先駆的、開拓的、実証的」に行いながら、高齢者が安心して住むことができるまちづくりに貢献することにほかならない。そこで当財団の定めた目的および事業に則し、きたるべき時代の高齢社会システムを築くために、以下の5つの事業活動を推進することとした。

(1) 高齢期の生活に必要かつ有効な機能とシステムづくりを目指した「高齢者の健康および生きがいの増進に関する調査研究」
(2) 充実した在宅支援サービスづくりとその供給システムのための「高齢者に対する福祉サービスに関する調査研究」
(3) 高齢者に関わる各種の調査研究活動の成果を取り入れながら、それを実践する具体的な生活支援システムを確立するための「高齢者に対する福祉サービス事業のための必要な施設の設置およびこれら事業の実施」
(4) 介護の基本的な態度、知識、技能などの習得のための「要介護高齢者の介護を行う家族及びボランティアに対する介護技術の教育研修」
(5) 介護福祉士などを目指す人たちへの「介護福祉士等育成のための奨学金助成」

4.WAC事業の本質

5つの事業活動のうち、「高齢者の健康および生きがいの増進を図る事業ならびに、高齢者に対する福祉サービス事業のための必要な施設の設置およびこれら事業の実施」は当財団の理念をかたちにした、事業活動の中心的位置づけにあり、平成元年度からスタートした厚生省(現 厚生労働省)が推進する「ふるさと21健康長寿のまちづくり事業(通称Well Aging Community=WAC事業)」を具体化するモデル事業でもある。

WAC事業は高齢者が安心し生きがいを持って暮らせるまちづくりを実現させるための施策であるが、その内容は二つに分けられる。一つは、各地方公共団体がそれぞれの地域特性に応じた高齢者のまちづくりのための総合的な基本計画の策定を推進し、国がそれに対して支援を行うものである。もう一つは、民間事業者が公的施策との適切な連携のもとで、高齢者のための健康・福祉施設を総合的に整備する場合に、国が支援を行うものである。ちなみに当財団の事業は後者に位置づけられる。

また同事業は、1989(平成元)年6月に施行された「民間事業者による老後の保健及び福祉のための総合的施設の整備の促進に関する法律」に基づいているが、この法律によると、民間事業者が厚生大臣(現厚生労働大臣)の定める方針に従って、保健サービスおよび福祉サービスを提供する4つの施設(特定民間施設)を一体的に整備する計画を行った場合、厚生大臣の認定を受けることができるとされている。

総合的に整備を図るべき4つの施設とは…

  • 疾病予防運動センター
  • 高齢者総合福祉センター
  • 在宅介護サービスセンター
  • 有料老人ホーム

である。そして、当財団の最初のモデル事業施設であるウェル・エイジング・プラザ「奈良ニッセイエデンの園は1990(平成2)年10月17日付けで全国初のWAC事業認定施設となった。このことは、先駆的まちづくりの実践例として、平成2年度と3年度の「厚生白書」に登載されるなど、当時まだ開園前の施設であったにもかかわらず、各方面から多大な注目を浴びることとなった。

このように、設立されて間もない当財団の理念や事業プランが高く評価されたことにより、その後の事業展開と実践にゆるぎない自身と誇りを持って邁進することができた。なお1997(平成9)年3月開園の当財団2号施設である、ウェル・エイジング・プラザ「松戸ニッセイエデンの園」も1994(平成6)年12月15日付けで全国2番目、首都圏では初めてのWAC事業認定施設となった。

5.WAC1号奈良の竣工

当財団が掲げる高齢社会システムを築く5つの事業のうちの「高齢者の健康及び生きがいの増進を図る事業ならびに高齢者に対する福祉サービス事業のために必要な施設の設置及びこれらの事業の実施」の具体的なプロジェクトの第1号として構想されたのが、ウェル・エイジング・プラザ「奈良ニッセイエデンの園」であった。
すでに1988(昭和63)年7月の日本生命常務会において、大阪に隣接する奈良県北西部のベッドタウン「西大和ニュータウン」内に所有する西大和用地に建設することを決定するなど、当財団設立準備と並行してプランは詰められていった。

そして、当財団設立直後の1989(平成1)年7月19日の臨時理事会では、ウェル・エイジング・プラザ「奈良ニッセイエデンの園」の建設事業を、また1990(平成2)年3月22日の理事会では建物規模などに関する計画を一部修正し、決議した。なお、この計画とは「定住施設としての有料老人ホームに付随して、地域住民に対しても健康・介護に関して安心できる機能および生きがいを持っていきいきと過ごせる機能を整え、高齢者のライフステージに応じたトータルサービスを提供するもの」である。

かくして、終身利用型の有料老人ホーム、疾病予防運動センター、高齢者総合福祉センター、在宅介護サービスセンターなどを備えたわが国最大級のシルバーサービス施設群として、また全国初の厚生省(現厚生労働省)の推進するWAC事業(ふるさと21健康長寿のまちづくり事業)に則った地域交流型の施設群として、1992(平成4)年3月3日に竣工式を迎えた。

6.WAC2号松戸の竣工

当財団にとって初めてのモデル事業施設であるウェル・エイジング・プラザ「奈良ニッセイエデンの園」の建設準備を進めていた1990(平成2)年、当財団は早くも2番目の施設の検討を行っていた。高齢社会にふさわしい新しいまちづくり事業に適した候補地の検討から始めたが、当初より首都圏に的を絞っていた。そしてパートナーとして官民お互いの思いが一致したのが、千葉県松戸市であった。

東京都心から電車で30分ほどの松戸市は、東京のベッドタウンとして急成長し、千葉市や船橋市に次ぐ市川市と同規模の人口46万人(当時)を擁する千葉県の中核都市であった。この松戸市では、市内の国立療養所松戸病院の跡地利用問題をきっかけに、1989(平成元)年から始めた第4次総合5ヵ年計画に、保健・医療・福祉を一体化した総合的な高齢者対策を盛り込んでいた。
また同市は、1991(平成3)年度に国から「ふるさと21健康長寿のまちづくり事業」の地域指定を受け、その拠点として福祉医療センター「松戸市しあわせの村」構想を打ち出した。この構想は、保健・医療・福祉サービスを提供する施設と在宅療養を一つにし、市全体を「しあわせの村」にしようとするもので、ここにWAC事業を組み入れようと考えたのであった。
当財団では、この事業に参画するため交渉を重ねた結果、1991(平成3)年11月30日の松戸市議会において、民間事業者として当財団の起用が承認された。当初は、市川市域にある約2万㎥の飛地も全体計画に組み込み、よりスケールの大きい構想を計画していたが、最終的には国立療養所松戸病院の跡地約6万㎥のうちの約2万㎥を利用して、ウェル・エイジング・プラザ「松戸ニッセイエデンの園」を建設することになったのである。

ウェル・エイジング・プラザ「松戸ニッセイエデンの園」は「松戸市しあわせの村」構想のひとつのプロジェクトを担うという基本的な位置づけから、市との連携が特に重要となった。
当財団では、早速、松戸市および厚生省(現 厚生労働省)と綿密な協議・調整を行いながら、ソフ ト・ハード両面から基本計画づくりや事業予算の策定を行った。このとき、施設の計画・設計などで奈良事業の経験が大いに生かされたが、一方で初めての首都圏での事業であり、近畿圏とは異なる価値観や文化に配慮しながら進めた。

こうして1997(平成9)年2月7日、「松戸ニッセイエデンの園」は真新しい建物施設内で竣工式を迎えた。奈良事業と同様松戸も、WAC事業法に則って「有料老人ホーム」「疾病予防運動センター」「高齢者総合福祉センター」「在宅介護サービスセンター」の4つの施設(特定民間施設)を一体的に整備している。また、同様に診療所も付設。
なお、奈良事業と異なる点として「松戸市しあわせの村」構想のもとで、当園に隣接した松戸市立の東松戸病院、老人保健施設・梨香苑、在宅介護支援センターがあり、松戸市との連携をいっそう密にしていく必要がある。このように、ウェル・エイジング・プラザ「松戸ニッセイエデンの園」は、国と市と地域住民そして民間事業者である当財団とが連携しながら開園された。このような形態は、新しい高齢社会システムを創造するための試みであったといえる。

7.そして、新たな歴史へ

ニッセイ聖隷健康福祉財団は2019(令和元)年に設立30年を迎えました。「国際高齢者年」であった1999(平成11)年、そして翌2000(平成12)年には日本において介護保険制度が施行されるなど、今や高齢者福祉の問題は世界的な規模でクローズアップされています。現在も、日本の高齢化率は上昇を続けており、2013(平成25)年には4人に1人が65歳以上の高齢者となり、2036(令和18)年には3人に1人が対象となることが予想されています。

設立以来、当財団の活動は、今日の社会の流れの先駆けであったと思いますが、一方で先鞭をつけた者としての使命、責任を強く感じずにはいられません。今後、経済環境や高齢者福祉・介護をめぐる環境はますます厳しさを増すことが想定されますが、これまでの取組みをさらに前進させ、奈良・松戸ともに利用者の拡大およびサービス向上に努め、さらなる事業基盤の安定・強化を図ってまいります。

財団の歴史には日々新たな頁が記されていきます。幸いなことにこれまでの努力と実績が社会的に評価されており、2013(平成25)年4月には事業活動の公益性も認められ、内閣府から公益認定を受け、公益財団法人に移行いたしました。より大きな期待・要請が当財団に寄せられる中、それらに応え、これを励みとして、さらなる飛躍に向かって、邁進したいと思います。